加賀友禅・牛首紬・印傳
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三大友禅の特徴
日本三大友禅とは「加賀友禅」「京友禅」「東京友禅(江戸友禅)」を指します。
友禅染めは江戸元禄時代に京都の扇絵師、宮崎友禅斎が創始したことから友禅染めと呼ばれています。
手描き友禅と型友禅に分類されますが、「手描き友禅」は糸目が特徴で色と色の境に糊を置く糸目糊により繊細で緻密な色柄が表現されます。

加賀友禅
武家文化を背景に、草花などを絵画的、写実的に描く事が多く、艶やかで落ち着いた色が特徴。
加賀五彩と呼ばれる色彩で花鳥風月が写実的に描かれます。

京友禅
貴族文化を背景に、豪華な図案柄や文様柄が多く、積極的に金銀箔や刺繍が施されています。
写実的な表現より図案、紋様が描かれるのが特徴。

東京友禅
町人文化を背景に、町人の暮らしぶりを表す図柄が多く、渋い色合いと、都会的センスとお洒落感が特徴。
江戸の風土を反映した絵柄、柄行、(竹林、千鳥、磯の松、網干し、釣り船など江戸の風景)が描写されています。

その他の友禅
友禅にはその他、名古屋友禅、鎌倉友禅などその土地の風土にあった友禅があります。

加賀染と加賀友禅


加賀友禅は、金沢において江戸時代前期までに完成された「加賀染(かがぞめ)」という染色技法を基に、
宮崎友禅斉が藩の御用紺屋である太郎田屋と協力して模様染を行ったのに始まると伝えられています。
✽加賀染は室町時代中期からあり、梅皮や渋を用いて染めるもので染め度合いで梅染、赤梅染、黒梅染と呼ばれていました。
その後、色絵、色絵紋の模様染めが加わり今日の基礎となっています。

「加賀染め」と「加賀友禅」の呼称については上記のようなことですが、
産地や北陸では現在でも加賀友禅を親しみを込めて『加賀染め』
と呼び習わしています。

加賀友禅が現在のように京友禅と肩を並べるほど有名になったのは、昭和30年(1955)に木村雨山氏が人間国宝に認定されたたことによります。
天才 木村雨山が登場するまでは、加賀友禅は京友禅より格下という見方が一般的で、地元金沢でも富裕な家庭では嫁入り支度などは京都で誂えていたといわれています。

その後、伝産法に基づく後継者育成事業、品質表示事業などを推進してきた「協同組合 加賀染振興協会」の努力や、加賀友禅の現在を築いた、談議所栄二氏、毎田仁郎氏、水野博氏、矢田博氏、初代由水十久氏、能川光陽氏、梶山伸氏、成竹登茂夫氏をはじめ著名な作家を多数輩出したことにより加賀友禅は金沢の一大産業となり、全国的にその名を知られるようになりました。


落款制度と「加賀染振興協会」の検査を通過した製品にのみ発行される「産地商標」は,作家さんの技量と加賀友禅の手造り伝統工芸品としての品質を保証し、お持ちいただくお客様に安心と、誇りをご提供しています。

加賀友禅の特徴


-写実的な花鳥山水の模様を中心とした絵画調の柄で、金箔等の加飾をしない-


「加賀友禅」の第一の特徴は、基本的には「染」の技法のみで作られていることです。

色柄は、華やかな中にも武家風の落ち着いた品格があり、
北陸金沢という風土が彩色や柄などに大きく影響しています。

また、工程ごとに職人がいて一枚の着物をを仕上げる分業制の京友禅や東京友禅に比べ、
図案の作成から下絵、彩色まで一人で手掛ける加賀友禅は、作家の個性が出やすいのも特徴です。

加賀友禅が絵画調といわれるのは、手描友禅自体が描きたいものが自由に描ける技法であることと、
京友禅が洗練された構成・デザインに重きが置かれるのに対し、
加賀友禅では写実的な描写緻密な彩色が特徴だからともいわれます。


加賀友禅の柄 ・技法


京友禅は公家、豪商向き豪華絢爛に対し、加賀友禅は武家向きの落ち着いた気品のある美しさがあります。

柄は 幻想的な空想の世界 を、スケッチを重ねた写実的な描写 で描いた草花模様を中心としたものが多く、
写実性を高めるための白上がりの線の太さに変化をつけ、装飾効果をも高めています。
虫喰い、グラデーションを多用します。


✽「幻想的な空想の世界」:草花模様で言えば、季節違いの花や四季の花が同時に咲いた図柄など


色彩は「加賀五彩」といわれる藍、臙脂、黄土、草、古代紫を基調とした多彩な色調の作品が多く、
色のぼかしは外が濃く内側に向かい少しずつ薄くなっていく外ぼかし技法が多く使われています。
しかし全てが外ぼかしだと均一な感じがするので、内ぼかしも使うことがあります。

加賀友禅の価格や出来映えの差


加賀友禅は同じ作家さんの同柄の作品であっても価格や出来映えが違うことがあります。
その原因の一つには産元卸商社間で制作方針が違い、卸し価格も出来もかなり違います。
各商社により、使用する白生地の違いや、携わる職人さん(糊置き・引き染・染色補正師)などが違うからです。

加賀友禅の人間国宝


人間国宝・木村雨山


明治24年2月21日-昭和52年5月9日(1891-1977)
金沢市生まれ、本名木村文二(きむら・ぶんじ)。
石川県立工業補習学校自在画図案科卒業後、上村(うえむら)松太郎のもとで加賀友禅を修行。
昭和9年(1934)帝展特選、12年(1937)パリ万国博覧会銀賞。
29年(1954)第1回日本伝統工芸展に出品以来、同展で活躍。
30年(1955)日本工芸会理事就任。51年(1976)勲三等瑞宝章。

人間国宝・二塚長生


1946年(昭和21年) 8月12日富山県高岡市生まれ。
2010年(平成22年9月6日) 重要無形文化財「友禅」の保持者に認定。
江戸時代中期に流行した、糸目糊置きのみによって模様を白く表す「白上げ」と呼ばれる技法を駆使し、水や風等の自然の動きを抽象的に表現する。
その伝統的な技法を踏まえつつ、斬新でダイナミックな作風は、高い評価を得ている。

加賀友禅の巨匠

木村 雨山

[ 明治24 年―昭和52 年]
明治末期に上村雲峰に師事。昭和30 年人間国宝。加賀友禅の名声を全国に轟かせた巨匠の中の巨匠。

談議所 栄二

[ 明治32 年―昭和49 年]
大正初期に岡本光谿に師事。後年雨山に次ぐ巨匠となり、草花の繊細な描写には雨山を凌ぐものがあった。

能川 光陽

[ 明治33 年―平成8 年]
大正初期に岡本光谿に師事。96 歳の天寿を全うするまで「間」を巧みに生かした品格ある創作を貫いた。

成竹 登茂男

[明治36 年―平成3 年]
大正初期に中橘園に師事。戦後以降日展でも活躍。写生とともに迫力ある力強い構成力に秀でていた。

毎田 仁郎

[ 明治39 年―平成5 年]
大正中期に下村光鳳に師事。徹底した写生ぶりと温もりのある繊細な彩りの妙のにより高い評価を得た。

梶山 伸

[ 明治41 年―平成9 年]
大正末期に梶山星年に師事。自然描写を基調とした造形表現に非凡さを発揮、業界の指導にも貢献した。

初代由水 十久

[ 大正2 年―昭和63 年]
昭和初期に紺谷静焦に師事。古典文芸にも造詣深く、童子の詩情豊かな描写力は高い評価を得た。

水野 博

[ 大正7 年―昭和54 年]
昭和初期に土屋素秋に師事。独特の抑制された彩りで装飾的な草花を描き加賀友禅に新風を吹き込んだ。

矢田 博

[ 大正8 年―昭和61 年]
昭和初期に土屋素秋に師事。写生を重視したダイナミックな構図とともに巧みな図案化は高い評価を得た。

協同組合 加賀染振興協会HPを参考にしました。