紋の入れ方
女性の紋入れには、・「家紋をそのまま入れる」・「家紋の紋所を囲んだ丸の線を取り除いて入れる」
・「紋所を囲んだ丸の線を優しい図柄(雪輪など)に替える」・「通紋(つうもん・とおりもん)を入れる」
などのケースがあります。
✽通紋(つうもん・とおりもん)
江戸時代になって華美で装飾的な紋や一般性を持つ紋が武士、庶民を問わず使われるようになりました。
「違い鷹の羽」「木瓜」「蔦」「五三の桐」「揚羽蝶」などは各地の貸衣装の紋としてもよく使われる通紋といえます。
石川・富山の通紋
石川県、富山県では女性用は
「蔦紋」、男性用は「丸に木瓜紋」がよく用いられます。
祝儀の礼装
結婚式、披露宴 での一般的な装い
最近は絵羽の着物(総模様:振袖、裾模様:黒留袖・色留袖、肩裾模様:訪問着)をお召しになる方が多いです。
新郎新婦の母親、仲人夫人
既婚の姉妹、親族
未婚の姉妹、親族
主賓、花嫁・花婿の上司
既婚の友人、同僚
未婚の友人、同僚
黒留袖
黒留袖、色留袖
振袖、色留袖
色留袖、訪問着
訪問着
振袖(場が華やかで豪華になるからと花嫁側から友人に振袖での出席を依頼されることも多いようです。)、訪問着
親族の色留袖
最近ではお若い親族の方の色留袖も増えてきています。
五ツ紋比翼付きの色留袖は黒留袖と同格とは言いますが、新郎新婦の母親、仲人、新郎新婦に近い親族は、花嫁を引き立てる、お招きした列席者に礼の心を表すという意味から黒留袖をお召しになる方のほうが多いです。
結婚式、披露宴での色無地
昔は自宅で披露宴をする事も多く、親戚や、近所の親しい方達が色無地に錦の帯を締めてお給仕などのお手伝いをしました。その時の色無地を「給仕紋付き」と呼びました。
その後割烹旅館や料亭での披露宴が増え、女性スタッフの制服が無地の着物で、列席者の色無地は減りました。
現在ではホテル、式場などの施設での結婚式、披露宴が多くなり、給仕紋付きとしての需要も減り、色無地での参列者はあまりみかけません。
色無地と江戸小紋
礼装として関東方面で人気の江戸小紋ですが、石川、富山では色無地のほうが主流で、関東でほどにはポピュラーではなかったように記憶しています。
子供の行事(お宮参り、七五三、入学式、卒業式)での一般的な付き添いの装い
簡単な柄付けの訪問着、付下げ、色無地などを召しになる方が多いです。
子供祝着
初産を迎える妊婦は臨月に入ると実家に帰り、出産の準備をして実家近くの病院で出産することが多いです。
初産は40~50日で婚家に帰りますが、それまでにお嫁さんの実家で産着(一ツ身)を用意なさいます。
一ツ身の紋
「男児物には紋を入れるが、女児物に紋は不要」とされる方もいらっしゃいますが、背守り代わりにと女児の初着にも紋を入れる方も多いです。
✽背守り:背に縫い目のない子どもの着物は背後から魔が忍び込むとされ、昭和の初めころまで魔よけとして母親が着物の背中に飾り縫いを施していました。最もポピュラーな「糸じるし」から布細工の一種である「押絵」(立体アップリケ)までいろいろの飾りがありました。
初宮参り等で着た一ツ身の産衣を七五三の祝い着に仕立て直すというのは、袖口作り、腰上げ、肩上げをして、産着を子供の着物の形に作り変えます。
女児は袋帯を結ばなくても兵児帯で被布を羽織れば可愛いい!
男児は羽織袴でなくても、一つ身に袴を着けるだけで充分凛々しく見えます。
一ツ身の産衣が着られるのは、体型にもよりますが五歳(満年齢四歳)程度と云われています。
不祝儀の礼装
昭和40年代位まではまだ一般参列者にも和装喪服が多かったように思います。
それは「故人と遺族に敬意を払った服装で場に臨むという意識が共有できていた時代」だった
と言えるのかも知れません。
北陸でも現在では一般弔問客の和装はほとんど見かけませんが、喪主、喪主の妻、遺族の通夜の色無地、葬儀での喪服姿は多く、喪の和装は遺族親族のアイコン的役割を果たしているようです。
そしてセレモニー施設でも喪服、色無地の貸衣装や着付師の用意があることがほとんどです。
通夜、葬儀での和装
現在では洋装が大半ですが、「せめて遺族くらいは和装で」との考えも強く、
大勢の洋装の参列者の中で通夜、葬儀での和装は遺族、親族のアイコン的役割を果たしているようです。
遺族親族の場合
・通夜・・・色無地+法事帯・黒共帯
・葬儀・・・黒喪服+黒共帯
一般参列者の場合
・通夜・・・色無地+法事帯
・葬儀・・・色無地+黒共帯
不祝儀の色無地
北陸では色喪服という概念は薄く、着物は単に色無地と呼び、色共帯は法事帯とよんでいます。
また法事用帯締帯揚、法事用草履バッグというグレー地中心の法事用品というのもあって、色無地と共に通夜、法事などに用いられます。